JCJ機関紙『ジャーナリスト』08年10月号から、「出版部会例会」の記事を掲載します。
筆者の小幡時彦さん(元実教出版、元出版労連書記次長、元JCJ運営委員)は、11月30日、逝去されました。ご冥福をお祈りいたします。
出版部会
満州事変拡大を追認した新聞
「大衆の熱狂との距離」いまも課題
小幡時彦(出版部会)
「対論『新聞と戦争』(朝日新聞出版)をめぐって―満州事変での『朝日社論』転換の〝なぜ〟?―」と題した出版部会の例会が、10月15日夜、岩波セミナールームで開かれた。講師は、朝日新聞編集委員の上丸洋一氏と上智大学教授の石川旺氏。参加は40名。
08年度のJCJ大賞受賞の『新聞と戦争』は、07年4月から08年3月にかけて、朝日新聞に連載され、単行本化された。
社論はいつ、どう変わったのか。満州事変以前や直後の主張は、「軍部は政治に口出すな」「全面的衝突を避けよ」というものだったが、朝鮮軍の独断越境、中国侵攻に対する、政府の「事後承認」には沈黙を守り、その翌日には「陸軍が動いた以上、政府は追認せよ」と主張するにいたる。180度の転換であった。そのおよそ二十日後、役員会で「戦争協力は国民の義務」だとの決定がなされる。
上丸氏は、加藤周一の批判を引き、「なしうるのか」といささかの逡巡を示しつつ、ジャーナリズムは「国家」の外に立って国家の善悪を判断する「規準」を持たねばならない、と語る。「どうすればよかったのか」と自問。満州事変を起こした石原莞爾の、「朝日新聞は全面を埋めて戦争反対をやらんかね」「潰されても復活するよ」との発言を紹介する。
なぜ変わったのか。氏は、右翼の来訪と対暴力策なし、言論統制、不買運動への恐れなどのほか、「民衆の情緒的な感情の傾向」(愛国心を疑われたくなかった)を挙げる。
ついで連載時よりこれを素材に、学生と議論を続けてきた石川氏が、「新聞と戦争」から「何を学ぶのか」として、4項目を提起し対論に移った。①日本が戦争しているとき、メディアは反対できるか。「国民の義務」を超えられるか。今も満州事変のときと変わってないのではないか。②メディアはすべて追認でしかない。メディアは既成事実とどうたたかうのか。③取材対象と記者の距離感が報道の在り方に影響を与えないか。④世論の「流れ」、大衆の「感情的なアピール」と、メディアはどう接するのか。
議論は、現在のジャーナリズムを鋭く問う、深まりを見せた。