『ジャーナリスト』5月号7面 「映画の鏡」、上映の応援の意味でも全文掲載します。
『ドキュメンタリー「ひめゆり」』
「これは亡くなった者、生き残った者、それぞれの『命』の記録である」-映画の冒頭の言葉だ。1994年から2006年まで撮影された100時間を越える映像が凝縮された2時間10分。それは「ひめゆり学徒隊(沖縄県立第一高等女学校・沖縄師範学校女子部)」生存者22名が自分の言葉で語った、ありのままの沖縄戦体験である。
15歳から19歳までの「ひめゆり学徒」222名は、1945年3月23日「南風原陸軍病院」に動員された。寝る間もない激務の中で、彼女たちは手術で切り落とした手足を運ぶことにも、死体を埋葬もせず壕の外に放り出すことにも慣れていく。
5月29日、首里陥落、南部撤退。重傷の兵隊に衛生兵が青酸カリ(?)を入れたミルクを与えるのを目撃した津波古ヒサさんは「絶対人に言うな」と兄に言われたと告白する。6月18日、突然の陸軍病院「解散命令」。軍は彼女たちを使うだけ使ってから戦場に「放り出した」。学徒隊の戦死者の大半は解散命令後に亡くなっている。これが「殉国少女の美談」の実態なのだ。
映画をまとめた柴田昌平監督は1963年生まれ。NHK勤務後フリーとなり、1994年「ひめゆり平和祈念資料館」から証言ビデオ『平和への祈り』の製作を引き受けたことが映画『ひめゆり』の発端だった。
今、「ひめゆり」生存者は70代後半から80代。映画の証言者の中でも完成を待たずに亡くなった方が3名いる。一方で「いまだ手記や証言などを残していない人は20人」という字幕が最後に流れる。語られない「ひめゆり」体験を思いつつ証言を反芻すると、その言葉が一層胸に迫ってくる。学校教科書で沖縄戦「集団自決」の記述が歪められるような現在、「沖縄戦の真実」をぜひこの映画で知ってほしい。(芦澤礼子)
◆5月26日からポレポレ東中野(東京)で上映.
「ひめゆり」長編ドキュメンタリー映画公式ホームページ