機関紙「ジャーナリスト」09年1月号から転載します。
日比谷公園の「年越し派遣村」へ
ボランティア体験の会員に聞く
昨年12月31日から1月5日まで、東京・日比谷公園に開設された「年越し派遣村」は大きく報道され、行政や政治も動かした。年末からボランティアをし、派遣村が閉じられてからもずっと見守ったJCJ会員の、女性Sさんに体験と思いを聞いた。
「年越し派遣村」にボランティアに行った。何か行動しなければと思った。20日ごろから年賀状を書き始めたが、途中で筆が進まなくなった。なぜ気が乗らないのだろうと思った。派遣切りが増えているなどのニュースを見て、「このためだ」と思った。
他人事ではなかった。私が働き始めたころ、民放の女子は25歳、30歳で切られていた。非正規雇用など弱い立場の人のために闘ってくれたのは民放労連だった。
新聞で派遣村のことを知って31日の昼の炊き出しから参加。5日以降も派遣村村民に付き添って、東京都の施設に通った。
JCJ・HP
顔見知りになるといろいろ話してくれる人もいた。ネットカフェより安いオールナイトの映画館で夜明かしした時、寝込むうち所持金を取られた人。建設労働で腰を痛め、路上で寝て悪化し治療が必要な人。横浜から片道の交通費しかなく、派遣村にたどりついた若者もいた。健康保険がなく体の不調を訴える人は多かった。
派遣村は生活保護の申請や就職活動の支援もしていた。村民は行政が特別に審査を早め、すぐに生活保護の金を支給したことを喜んでいた。
多くのカンパや物資が寄せられた。動ける村民は、「ただ飯は食えない」と炊き出しや物資の仕分けなどの作業を手伝った。村民もボランティアだった。
受付を担当していると様々な人に出会った。国労で解雇経験のある人は、今は定職があるからと多額の寄付をした。定額給付金の前倒しといって、2万4千円を出した老夫婦。お年玉の一部だと女の子がカンパしてくれた初詣帰りの家族連れもいた。
東京都の施設に移っても、村民は職探しやアパート探しをしていた。住まいも職も若い人ほど先に決まっていくのは切なかった。
契約が切れる時期が来て、4月にはまた派遣村が必要だと皆がいう。村民たちは言っている。「そのときは俺たちが駆けつけて助けよう」と。