「ジャーナリスト」09年4月号から転載します。
週刊新潮「朝日襲撃犯」スクープ誤報
根底に「裏付け取材否定」の姿勢
危惧される“週刊誌無用論”の台頭
朝日新聞阪神支局殺傷事件。「私が襲撃した」と実名手記を週刊新潮に4回掲載した男性が、一転その事実を否定。新潮側も「こうして『ニセ実行犯』に騙された」と編集長が10ページの手記を発表するなどドンデン返しの連続だった。
誤報事件は各メディアに少なくない。天声人語によると08年以後、週刊新潮だけで名誉棄損敗訴は10回で、計3000万円の賠償を命じられている。しかし裁判ならばその過程で双方のやり取りがあり、負けた方にもそれなりの言い分が残る場合がある。
週刊新潮はなぜ、これほどの醜態に陥ったのか。それは、週刊新潮の生い立ちと54間年に及ぶ発展のありように根源がある。同誌の生みの親で育ての親は当時からワンマンとして知られた雑誌編集担当の斎藤十一重役だ(写真週刊誌フォーカスも同じ)。
斎藤は2000年死去するまで「齋藤天皇」といわれたが、その下でもむろん誤報や報道トラブルは多々あった。が、齋藤は決して責任をとろうとしないどころか、賠償金は「必要経費」と開き直っていたのである。
新潮編集長の手記には「週刊誌の使命には、真偽がはっきりしない段階にある『事象』や『疑惑』にまで踏み込んで報道することことにある」と断定的に述べている。誰かが何か言った、中身を検証しなくても、言ったという事実を報道するのは正しいという立場で、これは裏付け取材の否定であり、週刊誌全体を馬鹿にした態度だ。
今回、対新潮批判で朝日のトーンが異様に高いと評する人もいる。
だが、考えてもみよう。阪神支局の記者たちは一日の仕事を終え、スキ焼きの夕食を済ませてソファでくつろいでいた。そこに銃を持った何者かが飛び込み発砲した。
血にまみれて絶命した若い記者の無念を思えば、そんな事件に便乗し、かつ相当の金銭や便宜の供与をやり取りした「ニセ実行犯」と新潮の関係を見つめる朝日同僚たちの怒りがいかに強くても、それは人間的に理解できることではないのだろうか。
今後、週刊新潮撲滅論とか週刊誌無用論が出てくるかもしれない。だが、これだけの失態でもメディアをつぶす論議は好ましくない、
編集長手記には重大な誤報が生まれた構造や深層への言及はないが、同社社員らの努力で明らかにし、新しい週刊誌の時代を模索すべきだろう。 (亀井淳)