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機関紙「ジャーナリスト」9月号から転載します。
通信と放送 開かれた議論を 安易な「融合」は混乱を招く 水島久光(東海大学教授) 8月26日、一年半にわたって検討を進めてきた「通信・放送の総合的な法体系」に関する答申が提出された。その週末には歴史的な選挙があっただけに、なんだか遠い昔のようにも思える。 民主党のマニフェストに、情報通信やメディアに関する政策は、具体的に謳われていない。しかしバランスと合理性、情報公開と開かれた議論を基本とした政策運営を目指すというその方針においては、いずれ表舞台での検討を避けられないテーマとなるはずだ。いやむしろ民主政治の根幹にある「コミュニケーション」に関わる問題が、これまでずっと水面下で検討されてきたこと自体の是非を、まず我々は問うべきだろう。 「デジタル化とネットワーク技術の進化によって、通信と放送の融合が進み、それに伴って法制度を見なおす必要がある」という認識は e-japan戦略の中で示され、以降、今回の答申に至るまで、議論はここを出発点にして進められてきた。確かにWeb2.0の普及や、地デジ完全移行を目の前にした状況では、それはますます自明のことに見える。 しかし忘れてはならないのは、こうした認識自体が、今回の政権交代で問われた、過剰なグローバル経済重視の中で示されたものであったということだ。技術的許容域が拡大したことによる見た目の「融合」に人々が飛びついたのは、それが既存サービスの壁を取り払い、市場の拡大をもたらすものと短絡したからだ。しかし壁はすなわち制約ではなく、むしろ秩序をなす側面をもつ。これまでの議論では、何よりもそれが忘れられていた。 相手を特定して直接情報を流す通信と、空間を媒介として不特定多数のアクセスを許容する放送とでは、伝送次元での設備の「共有」はあり得ても、情報流の制御に関しては、原理的に融合しえない。こうした技術の社会的性格を踏まえてこそ、通信はプライバシー、放送は公共性という民主社会の両極をなす規範との強い関係を築くことができる。逆に安易に融合を進めれば、社会的規範を混乱に陥れかねない(いや既にそうなっている)。 若い政治家は技術革新を単純に肯定し、ともすると現状追認的に、法や組織の整備に走りがちになる。ぱっと見よさそうな動きに保証を与えようとするモチベーションでは、制度はパッチワーク化し、矛盾や隙間が混乱を呼び込む―その意味で、答申は火種だらけだ。 「新政権は日本版FCCの構想を進める」という声も聞こえてくる。権力との距離をとる点では評価できるが、こうした組織の役割を「規制」の観点からのみ構想している点が気になる。大事なことは、これまでの歴史を踏まえ、開かれた議論の中で制度設計をする慎重さである。それがなければ、どんな制度にもリアリティは伴わない。 通信も放送も、現場の知の持つ力が大きい分野だ。政策が上から出てくるのを待つのではなく、もっとメディアが自らの未来について発言し、それをもとに政策が組み上がっていく動きを志向すべきではないか。今必要なことは、単に法とか組織とかいう実体を付け焼刃にこしらえることではない。我々一人ひとりのコミュニケーションを、いかに社会的レベルでデザインするか―という意識である。
by ywatari4
| 2009-10-09 00:47
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