|
カテゴリ
以前の記事
2025年 05月 2024年 11月 2024年 08月 2024年 07月 2024年 01月 2023年 12月 2023年 09月 2023年 06月 2023年 03月 2022年 11月 2022年 09月 2022年 04月 2022年 01月 2021年 11月 2021年 10月 2021年 09月 2021年 06月 2020年 09月 2020年 01月 2019年 09月 2019年 08月 2019年 06月 2019年 05月 2019年 04月 2019年 03月 2019年 02月 2019年 01月 2018年 12月 2018年 11月 2018年 10月 2018年 09月 2018年 08月 2018年 07月 2018年 06月 2018年 05月 2018年 04月 2018年 03月 2018年 01月 2017年 12月 2017年 11月 2017年 10月 2017年 09月 2017年 08月 2017年 07月 2017年 06月 2017年 05月 2017年 04月 2017年 03月 2016年 10月 2016年 09月 2016年 08月 2016年 06月 2016年 05月 2016年 04月 2015年 12月 2015年 07月 2015年 06月 2015年 05月 2015年 04月 2015年 03月 2014年 12月 2014年 11月 2014年 04月 2014年 03月 2014年 02月 2014年 01月 2013年 08月 2013年 07月 2013年 06月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 03月 2013年 02月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 11月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 06月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 01月 お気に入りブログ
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
説明板から削除された「慰安婦」についての抗議文
沖縄県知事 仲井真 弘多 様 第32軍首里司令部壕の説明板から削除された「慰安婦」の記述復活を求めます!! 沖縄県は、那覇市の首里城公園に設置した第32軍司令部壕説明板から「慰安婦」の文言を削った。日本軍が残した陣中日誌や米軍資料、住民の証言からも、第32軍司令部壕に「慰安婦」がいたことは明らかであり、「明確にそこに慰安婦がいたという事実を証明する文献、書類がない」という削除理由は全くの嘘である。 第32軍の司令部は、「天ノ巌戸戦闘司令部」とも言い、「天ノ巌戸戦闘司令所取締ニ関スル規定」昭和20年5月(沖縄県公文書館で「日々命令綴」として公開)には、第32軍参謀本部が出していた会報「球軍日々命令」が記される。 5月10日付け球軍日々命令107號には、5月10日に壕内の女性の撤退が開始されたとあるが、これは、米軍の攻撃を受け、司令部壕を放棄し摩文仁に撤退する命令であった。 撤退はグループごとに時間差をつけて行っている。第一梯団は「筆生及打字手(タイピスト)」の平敷町子以下20名、第二梯団は「筆生及雑使」の高江洲カメ以下16名、第三梯団は徳田カメ以下26名、第四梯団は偕行社の水石一登以下13名とある。この第三梯団の女性たちは「若藤及病院」とあるが、「若藤」こそ「若藤楼」であり、「慰安婦」にされた女性たちである。彼女たちのことは、『沖縄決戦』にも、「洞窟内には・・・辻町の料亭若藤の遊女十数名が収容されていた」と記されている。彼女たちは第四坑道から出発し、輿座の第24師団(山部隊)へ移動し、引き継がれた。 この資料からも、第32軍司令部壕に「慰安婦」がいたことは明らかであり、「明確にそこに慰安婦がいたという事実を証明する文献、書類がない」というのは明らかな嘘である。 第32軍は沖縄に多くの慰安所を設置し、そこに多くの朝鮮人女性や日本人女性が「慰安婦」として入れられた。これらの事実は多くの戦記や資料で記録されているばかりか、当事者の証言もあり、否定できるものではない。 慰安所とは、「一般女性」たちを守るとの理由をあげ、いわゆる「性」の「防波堤」として用いられたものである。そもそも沖縄戦当時、沖縄県は、強くこれらの組織の受け入れを強く拒否してきた。にもかかわらず、日本軍は、沖縄県の辻遊廓の女性たちの廃業を禁止し、130か所を上回る慰安所を組織的に設置した。 慰安所は、沖縄差別を象徴する組織でもあったのである。と同時に、植民地からの女性たちを巻き込む形で強行されたアジア蔑視システムであった。沖縄差別・アジア差別の考え方を持った日本軍が沖縄で何を行ってきたのかは、他ならない、沖縄県の市町村の取り組みで明らかとなった数々の証言でも明らかである。 「慰安婦」及び「住民虐殺」の文言削除は、これまで「平和」と「人権」を掲げて沖縄県が取り組んできた努力を無にすることだ。 「慰安婦」にされた女性たちが尊厳の回復を求めて立ち上がって20年以上の歳月が流れたが、今、このような事態が沖縄で起こることは実に情けない限りである。沖縄県は一刻も早く元の説明に戻すよう、私たちは強く要望する。 2012年4月11日 「戦争と女性への暴力」 リサーチ・アクション・センター(VAWW RAC/バウラック) 〒112-0003 東京都文京区文京春日郵便局局留 Tel/fax:03-3818-5903
by ywatari4
| 2012-04-22 15:37
| 動向、お知らせ
|
ファン申請 |
||