「ジャーナリスト」06年4月号リレー時評 「新聞が重要な事柄を書かない理由」の続きです。
新聞が重要な事柄を書かない理由 続き
北村肇(「週刊金曜日」編集長)
昨年、ある大学でメディアに関する講義を頼まれた。そのテープ起こしが最近届き、愕然とした。「共謀罪」が「凶暴罪」となっていたのだ。担当の学生さんを責める気はない。「共謀罪」についてはほとんど報道がないのだから、内容を聞き「凶暴」と思ったのもいたしかたないだろう。
いつからメディア、とりわけ大新聞は、重要な法案についてきちんと報道しなくなったのか。はっきりとした分水嶺はわからない。だが、私が毎日新聞の社会部に在籍して90年代初めに、兆しはあった。きっかけは、「新聞離れの対策」である。
新聞は堅い、わかりにくい、押しつけがましい……こうした批判は年々、高まっていた。そこで登場したのが「読者ニーズ最優先」。
各社ともさまざまな調査を実施したが、結果は予想通り。読まれているページは圧倒的に「テレビ欄」「運動面」。政治面、経済面などはほとんど読まれていなかった。
このころから、スポーツネタや芸能ネタが、土曜日夕刊の一面トップを占めるようになった。そのうち、平日の朝刊でも一面に顔をのぞかせることが増えた。
言うまでもなく、これは「読者ニーズ」ではなく「読者迎合」である。「わかりにくい」なら、堅いネタをやわらかく読ませる方法を検討するのが当然なのに、楽な道を選んだのだ。実は、政治的圧力でもなんでもない。
そもそも新聞は時に、読者に記事を押しつけなくてはならない。「スポーツは楽しいでしょう。でも共謀罪の危険性を知り反対することはもっとはるかに重要です」。こうしたメッセージを伝えなければジャーナリズムではない。
生活保守主義が小泉流ポピュリズムを生んだといわれる。共謀罪より野球世界一のほうが重要という価値付けをする新聞も共犯だ。花見気分から抜け出るのはいつなのか。期待しても無駄なのか。