機関紙「ジャーナリスト」4月号から月間マスコミ評「出版」の記事を転載します
論壇に ざわめきはあるか
荒屋敷 宏
朝日新聞社発行の月刊誌『論座』の発売元が、から「朝日新聞出版」になった。とはいえ、『週刊東洋経済』(4月12日号)によると「収益化が厳しい月刊誌『論座』については朝日新聞に残す、という変則的な独立」となったという。
その『論座』5月号の特集「ゼロ年代の言論」を、月刊誌の模索を示すものとして読んだ。
「ゼロ年代の言論」とは、『論座』編集者によると、《思わぬ場所から、思わぬ人たち》が《「ウチらはウチらで勝手にやるけんね」的、超前向きな開き直り》を内包した「何か」だと、ひとまず定義される。
確かに、昨年の『論座』1月号に掲載された赤木智弘氏の「『丸山眞男』をひっぱたきたい」『若者を見殺しにする国|私を戦争に向かわせるものは何か』所収)は、新鮮で、反響を呼んだ。社会の現状に根ざす論文だった。実際、論壇のざわめきをつくってきたのは、赤木氏に注目したような編集者だ。
今月の『論座』の東浩紀、大澤信亮、佐々木敦各氏の座談会に注目した。東氏は、《「論壇というか『公共的な言論』は、いままで解釈のぶつかり合いの場だと思われていた。しかし僕は、そこを変えていく必要がある》と述べ、《「解釈の多様性をつなげられる現実の重さ」は、すごく重要》と語る。
月刊誌だけが「公共的な言論」を形成してきた訳ではない。自明のことだ。しかし、編集者が集め、吟味した多様な言論、問題状況に触れる魅力は、消えていないように思う。
書店へ行けば、多様な新書が所狭しと並ぶ。本来ならば、まず月刊誌に掲載されたはずのテーマの新書が多い。書き手のモラルも問われている。この問題は改めて考えたい。
とくに、論争が、ない。読者は、解釈の多様性だけでは満足できない。
昨年、『世界』10月号に国連本部政務官の川端清隆氏の論文に対して、民主党代表の小沢一郎氏が同11月号に反論を試み、同12月号に多くの人たちの感想が掲載された。小沢氏本人が直接書いたとは思えない論文で、論争にならなかった。論争にすべきだった。
前出の東浩紀氏が編集委員となって今月、『思想地図』(NHK出版)が、作家の浅尾大輔氏が編集長となって来月、『ロスジェネ』(かもがわ出版)が創刊される。
思わぬ場所から、「わたしたちの言葉」で、世界を変えていくことができるか。他人事ではない。